自分が相手を嫌いなら、相手も自分をうとましく思っているでしょう。けれど、自分から親しくなろうと努力すれば、相手も心を開いてくれるでしょう。
そうすると、思ってもみなかった世界が開けるかもしれません。だから、目の前の人を喜ばせると、徳につながります。
人に良いことをすること自体が幸福であり、幸福が巡りめぐって自分に返ってくると考えるといいでしょう。
人の心を動かすにはその人を認めることが第一です。相手のことを考えていれば、必ず他人は力を貸してくれるものです。
人を喜ばせることは、相手を尊重すること。「私にとってこの人は特別」と考えれば、それが態度に表れますから人間関係は発展します。
自分に甘くてもいいけど、その分、相手にも甘く接すること。それが人間関係の基本になります。
日記カテゴリの記事一覧
2019年08月07日
2019年08月06日
弱さがプラスに・・・
人はしばしば健康からではなく、病気から考え深くなり、順境からではなく、逆境にあって耐える力をつけ、褒められることからではなく、けなされることから自分を発見することがあることは、ほとんどの人が恐らく体験済みのことでしょう。
そういう訳で病人、不運な人、才能がないと思い込んでいる人々も、社会にとっては貴重な財産なのです。
そして極く自然に、自分に与えられている状況がどんなものであるか正視し、そこに意味をみつけることができれば、この世に失敗した人生などということはなく、どの人も各々の才能を生かし、社会でなくてはならない人となります。
そこで初めて、すべての人々が、競争の対象や敵対者になることなく、あらゆる人々の存在を評価し、感謝し喜ぶことができるようになるのです。
そういう訳で病人、不運な人、才能がないと思い込んでいる人々も、社会にとっては貴重な財産なのです。
そして極く自然に、自分に与えられている状況がどんなものであるか正視し、そこに意味をみつけることができれば、この世に失敗した人生などということはなく、どの人も各々の才能を生かし、社会でなくてはならない人となります。
そこで初めて、すべての人々が、競争の対象や敵対者になることなく、あらゆる人々の存在を評価し、感謝し喜ぶことができるようになるのです。
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2019年08月05日
相手の欠点を責めない
誰でも、弱いところと強いところがあります。ところが、人の欠点を責めはじめると、自分の弱いところを隠そうとします。
自分が人の弱点を責める性格だから、「自分も誰かに責められるんじゃないか」と心配になります。
相手の欠点を責めなければいいんです。お互いが弱い部分を欠点と見るんじゃなくて、「自分があの人の役に立てる部分はここなんだ」というとらえ方をしていけばいいんです。
どんなに時代が進んでも、できないことはできない。だから、自分ができないことはやらない。
それが得意な人がやればいいんです。人間っていうのは、自分の不得手なことをやってうまくいくことはありません。苦手なんだから。苦手なことをやってもうまくはいきません。だから、自分ができることを考えればいいんです。
自分が人の弱点を責める性格だから、「自分も誰かに責められるんじゃないか」と心配になります。
相手の欠点を責めなければいいんです。お互いが弱い部分を欠点と見るんじゃなくて、「自分があの人の役に立てる部分はここなんだ」というとらえ方をしていけばいいんです。
どんなに時代が進んでも、できないことはできない。だから、自分ができないことはやらない。
それが得意な人がやればいいんです。人間っていうのは、自分の不得手なことをやってうまくいくことはありません。苦手なんだから。苦手なことをやってもうまくはいきません。だから、自分ができることを考えればいいんです。
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2019年08月04日
身のほどを知ることが幸せへの近道
病や事故、災難に見舞われても、あるいは人と比べ能力や財力が劣っていても、自分に与えられた現実を受け入れることができたなら、それはなかば希望を手に入れたようなものです。
身のほどを知ることは、希望を手にする第一歩です。
私たちは、願望(欲望)のなかに生きるのではなく、希望のなかに生きたいものです。
なぜなら、幸福はそこにあるからです。
身のほどを知ることは、希望を手にする第一歩です。
私たちは、願望(欲望)のなかに生きるのではなく、希望のなかに生きたいものです。
なぜなら、幸福はそこにあるからです。
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2019年08月03日
心が満たされていれば・・・
人生はなるようにしかなりません。流れてしまった後に、どのような心構えでいるかが重要です。
「こんなはずじゃなかった」と思えば、恨みつらみでにっちもさっちもいかなくなります。
「自分で選んで流れてきたんだから、仕方がない。ここで頑張ってみようか」と思えば、心はプラスの気で満たされます。ちょっとした発想の転換、考え方の違いです。
とにもかくにも、五体満足でここまで来られたし、仕事も続けられているのだから、それで万々歳。
いろいろと病気もしたし、悲しい別れもあったし、お金の苦労もしてきたけれど、みんな勉強。
「あれもこれもありがたい。感謝、感謝」と思っていれば、気持ちは安定します。
仮にいくらお金があっても、「これで万々歳」と思わなければ、気持ちはいつまでも不平不満で満たされません。そして「もっと、もっと」と欲をだし、いつか落ちていきます。
幸せ、不幸せは、その人の心映え、心象風景が示すものなのです。心が満たされて、美しければ、「本当に幸せだ」と感じることができるようになるのです。
「こんなはずじゃなかった」と思えば、恨みつらみでにっちもさっちもいかなくなります。
「自分で選んで流れてきたんだから、仕方がない。ここで頑張ってみようか」と思えば、心はプラスの気で満たされます。ちょっとした発想の転換、考え方の違いです。
とにもかくにも、五体満足でここまで来られたし、仕事も続けられているのだから、それで万々歳。
いろいろと病気もしたし、悲しい別れもあったし、お金の苦労もしてきたけれど、みんな勉強。
「あれもこれもありがたい。感謝、感謝」と思っていれば、気持ちは安定します。
仮にいくらお金があっても、「これで万々歳」と思わなければ、気持ちはいつまでも不平不満で満たされません。そして「もっと、もっと」と欲をだし、いつか落ちていきます。
幸せ、不幸せは、その人の心映え、心象風景が示すものなのです。心が満たされて、美しければ、「本当に幸せだ」と感じることができるようになるのです。
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