本当に知っている者はあまり語りません。必要以上に語る者ほど本当は知りません。
真の知者は、五感に惑わされず、神経質にならないようにして、意識の煩わしさを解きほぐします。
そして、主張したがる意識を和らげて、他の普通の人々となじみます。このことを「神秘なる合一」と言います。
だから真の知者は、神秘なる合一を果たした上で社会の中に溶け込んで生活しているため、社会の人々は真の知者が誰であるのかを知ることはできません。
このように、神秘なる合一を果たし、いわゆる悟ってしまえば、語ることをやめてしまいます。何故なら、「すでにすべてがOKだから」 「それでよいのだ」だからです。
「今さら何を言う必要があろうか」ということが、心の真低からわかるからです。
でも、苦しい今の自分はどうすればいいのでしょうか?もっと成長したい!と誰もが思っているものです。しかし、真の合一の視点では、そのような今の色んな状態、生きていること自体が、歓喜するほど素晴らしいことであるのがわかります。それなのに、「その上で、さらにお前は何になろうとしているのか?」ということなのです。
人間が存在している不可思議に真から気づくと、病気であろうが、失業しようが、独身であろうが、誰かに罵倒されようが、それは生きている間だけの些細なオプションに過ぎないことがよくわかります。さらに言えば、そのようなすべての環境(状況)は、魂への有り難い刺激であるのが真相なのです。
すべての人間と生命が、すでに最高に素晴らしい存在である真相がわかると、「悟る必要もなかった」ということまでわかります。
生かされていることに感謝しながら暮らすことが、最も聖なる生きる道なのです。
これは、悟りを越えた先に存在する「行為」なのです。
2020年01月01日
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