2018年09月01日

どんどん進歩していくと・・・

今は相手が価値のあるものを寄こすときだけ、自分も価値のあるものを与えると合意します。しかし、そんなことはなくなっていくでしょう。

与えるのも分け合うのも自然になるから、契約を破るとか破らないというより、契約そのものがずっと少なくなってきます。
契約とはモノやサービスの交換についての取り決めですが、交換があろうがなかろうが、モノやサービスを与えるようになります。

そうなれば、一方的に与えることが救いになります。そのとき、神が経験したことに気づくからです。つまり、ひとに与えるのは自分に与えること。行ったものは戻ってくる、と。

だから、何を「とり戻せる」か、心配しなくてもいいのです。何を「与える」かだけを考えていればいいのです。

生きるとは、最上のものを得ることではなく、最上のものを与えることです。

私たちは、忘れていますが、人生は得るためにあるのではありません。

生命とは、与えるためにあるし、そのためには、人を赦す必要があります。
特に、期待したものをくれなかった相手を赦さなければなりません。

そうなると、私たちの文化の物語は一変するでしょう。現代の文化でいう「成功」は、どのくらい自分が「得た」かで測られています。どのくらいの名誉や金や力や所有物を蓄積したかで測られています。

新しい進んだ文化では、「成功」とはどのくらい人に「蓄積」させたかで測られます。
人に蓄積させればさせるほど、私たちも苦労なく蓄積することになります。

「契約」も「合意」も「取引」も「交渉」も、与えると言う「約束」の履行を強制しあう訴訟も法廷もなくなってきます。
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