楽しい、悲しい、うれしい、苦しいというような思いは、煩悩があるからこそわいてくる感情です。
よく考えてみれば、楽しい、悲しい、うれしい、苦しいという感情にはなんら実体がありません。
心が喜怒哀楽を繰り返すのは、時にしたがい、縁にしたがって、心が動くだけのことです。実体と呼ぶべきものはありません。
そうであるなら、喜怒哀楽にこだわる必要はありません。だから無感動に生きなさい、ということではありません。喜びも悲しみも、心が縁を得たときだけのものです。すぐに無に帰すものであるから、喜ぶときには心から喜び、悲しいときには心の底から悲しむように、ということです。
愛も同じです。人を愛するときには、心のかぎりを尽くす。けれど、そこに執着をもってはいけません。
相手がどう思おうと、心変わりをしようと、仕方がありません。心が転じるときには転じるままに受け止めます。
できることは、つねに目の前のことをせいいっぱい感じ取り、せいいっぱい取り組むことだけなのです。
2016年11月01日
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