2019年04月10日

よく観察すると多くの恵みを頂いている

暗いところばかりを見つめている人間は、暗い運命を招き寄せることになります。

いつも明るく明るくと考えている人間はおそらく運命からも愛され、明るく幸せな人生を送ることができるでしょう。

九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言い続けます。

なぜ私たちは不満を後まわしにして、感謝すべきことを先に言わないのでしょう。

2019年04月09日

念を継がない・・・

これは禅の言葉です。念というのはいろいろな思いということです。頭に浮かんできたあらゆる思い、考え、憎しみ、悲しみ、恐れなどを悪い方に、暗い方に発展させないということです。

禅では他人への憎しみの記憶、自分を批判するようなことを思い出すということ自体が病だ、心の病気だとします。その治療法は、念を継がないことだとするのです。

ですから禅では「念起こる、これ病なり、継がざる、これ薬なり」と言って、ふっと思い出すのも心の病なのだ、本当は思い出さないのがよい、しかし、思い出してしまったら、それを発展させないことが心の病を癒す方法なのだとしています。

2019年04月08日

肉食を極力控える・・・・できれば止める

仏教は因果を説き、殺生を十不善の第一戒においています。そして原因あれば結果は循環してくることを説いています。

殺す者は殺されるのです。

人類が動物食を続行し、殺生という悪徳の上に人類だけが繁栄しようと思って、いくら平和論を説いても、それは自己の殺生欲をくらますごまかしに過ぎないのです。

平和論をなすもの、本当に平和を欲するならば、肉食という殺生食をやめることからはじめなければなりません。

人間を創造した神は、人間の食べ物として植物性のものを与えたのであって、動物性のものを「食物として与う」とは「創世記」には書かれていません。

「創世記」には次のように書かれています。

「神いひ給いけるは、視(み)よ、我れ全地の面(おもて)にあるタネのなるすべての草と、種ある木果(このみ)のなるすべての樹とを汝らに与ふ。これは汝らの糧(かて)となるべし」
(創世記・第一章二十九節)

つまり、穀類と、野菜類と、果物とを人間の食物として与えたということが明記してあるのであって、動物を殺して食べるということは神の意志ではないのです。

動物食には、その動物が殺される時の恐怖や怨恨や憤怒の感情が動物の腺組織を刺激して発生した毒性のホルモンが、動物の屍骸(しがい)の肉体の中に含まれているので、その屍骸を食べる人間には、殺害されつつある動物の、殺害者に対する闘争の感情を掻き立てる毒素が、それを食べた者に移入せられます。

これらの毒素は肝臓によって処理して無毒化される仕組みになっていますが、あまりその毒素量が多くなると、処理しきれず、その結果その人間は、肉食動物と同様に短気になり、少しの事でも興奮して、相手を殺傷しても平気であるような気質が養成せられるのです。

「気質の荒れ」は、日本人の菜食から肉食の多食によるホルモン成分の異状を来たしつつある結果です。

肉類に含まれる脂肪成分は、血管壁面にコレステロールの沈着をきたし、血管の硬化をきたし、人の老化を早めます。

植物性の食べ物は血液を清浄にし、心に平和と静謐(せいひつ)とを与え、戦闘の心を鎮め、真理を悟得するのに適正な心的状態を与えてくれます。

2019年04月07日

いつも機嫌よく居るよう努める

自分自身が「機嫌よくいられるようにする」ことは、幸せな毎日を送るために、必要不可欠なことです。

人は機嫌がいいと、それだけで自分自身の感情や体調を守れることはもちろん、他者との関係やかかわる物事を、よい状態に保てるからです。

機嫌の良さは、最もシンプルで、最も効果のある「運気アップの鍵」です。なぜなら、物事は「機嫌がいい」というそれだけでうまくいくことが多いからです。

明るく心地良い状態にあると、エネルギーを乱すものが一切ないので、すべてがスイスイとうまく運びます。

2019年04月06日

老年になってもできる限り自炊する

老人ホームなどで時々、歳や健康の割には元気のない人がいます。

自分の食べ物は自分で作らねば生きていけない、という動物的生活の基本を免除されているからかもしれません。

何とかしておいしいものを食べよう、そのためには材料を買いに行こう、自分好みの味付けを創作しようという執着は、やはり、一種の明瞭な前向きの姿勢だから、それは老化防止になります。

食欲も物欲もなくなったら終わりです。