2016年11月30日

悩みは「裁き」から生まれる

苦しみが生じるのは、必ずそこに「頭による裁き」が入ってくるときです。どちらかを「マズイ」状態だと信じているからです。ですから自分を裁くか、相手を裁いて苦しむのです。そこには必ず一方的な物差しがあります。

例えば明るい性格を良いものとし、暗い性格を悪いとする判断は、他人から教わったものです。これはかなり暴力的な裁きです。明るい、暗いと比較すること自体が悪いのではなく、比較して「裁く」ことが苦しみになるのだと言っているのです。

暗さ自体は悪いことでもなんでもありませんので、その感覚を受け入れていれば自然に抜けていきます。にもかかわらず暗さを悪者にして否定するため、エネルギーがストップされて循環しなくなるのです。

その人が暗く見えるのは、暗い性格だからではなく、感情エネルギーがまわっていないだけのことなのです。まして暗い性格だけしか持ってない人など、どこにもいません。

他者との比較ではなく、自分の中だけの「比較による裁き」もあります。過去と今を比較し、どちらかを裁く。未来と今を比較し、どちらかを裁く。という自分自身の比較による裁きです。

「昔は良かったのに、今の自分が置かれている環境はダメだ」とか、「いつか必ず未来はこうあって欲しいなぁ。でも今の状態は最悪だ」という裁き。

裁いたものはもっと強くなっていくだけです。なぜなら裁くということは否定することになるからです。
「NO !」ということですから、その状態のエネルギーに「ストップ」がかかるということなのです。宇宙(現実)の循環にストップがかかるということなのです。

どんな状態も状況も、ただ素直にあるがままで感じ、受け入れていくと、循環し流れていきます。裁いてストップをかけるから、その状態が止まるのです。現実も状況もすべては単なるエネルギーです。

勘違いしないでいただきたいのですが、たくさんの否定的な考えや裁く思いを持っていることと、その人が本質的にダメであるということはまったく別のことです。

2016年11月29日

あなたの思い込みがリアリテイーを与え現実化している

あなたが 「そうだ!」と思い込んでいるものに、あなたがリアリティーを与えて具現化しているのです。

あなたは、優劣があると思い込んでいる。
あなたは、自分の中に劣っているものがあると思い込んでいる。
あなたは、失敗があると思い込んでいる。
あなたは、嫌いな人や、嫌いなものがあると思い込んでいる。
あなたは、「このままではまずいと思う自分」があると思い込んでいる。
あなたは、「特別な個性がないとまずい」と思い込んでいる。
あなたは、「成果を残してなんぼだ」と思い込んでいる。
あなたは、「あの人が自分をひどい目に遭わせた」と思い込んでいる。
あなたは、「〜〜しなくてはならない」と思い込んでいる。
あなたは、OOこそがスゴイと思い込んでいる。
あなたは、自分の使命があると思い込んでいる。
あなたは、達成すべき偉業があると思い込んでいる。
あなたは、今以上に素晴らしいものがあると思い込んでいる。
あなたは、「あれは自分ではない」「それは自分の財産ではない」と思い込んでいる。
あなたは、あなたは、・・・・・・。
あなたは、一体何を思い込んでいるのでしょう?

この現実が、この肉体が、この息子や夫が、あの他人が「在る!」と思い込んでいる?
あなたは、あなたが思い込んだとおり、そういうリアリティーを与えたとおりの今のあなたに見えているだけです。

あなたは、神のように自由でいるのが、じつは怖いのです。あなたは、誰かと一緒でいたいのです。あなたは、個性ある独自の存在でいるのが怖いのです。だから、なるべく多くの人が声に出すことに従おうとするし、他の人への見え方が気になります。

でも、あなたは 「あなた」 でしかありません。
「あなた」が思い込んで、「あなた」がすべてにリアリティーを与えている。これは完全にあなただけの視点であり、あなただけの解釈です。

本来はファジー(あいまい)でしかないものに、あなたが、「独自のリアリティー」を与えています。それらは本来ファジーです。すべての概念がファジーであり、すべての人がファジーであり、あなたの視点から、あなたがリアリティーを与えて存在させているのです。それがあなたの個性ということです。

2016年11月28日

大人(たいじん)の徳

日々の生活の中で汚れる肉体を持ちながら、自分の良心(人の道)をまじめに守って生活することができますか?

自分の生活の中で精神を集中することができて、それでも身心は柔軟にして、赤子(あかご)のようにいられますか?

良心の鏡に恥じないような生活を、自分はしていますか?

他人や国のために陰で良いことを自分がしていても、これをあえて他人に知られないようにできますか?

この世の多くの知識を自分が持っていても、これを他人に自慢せずに控え目にいられますか?

自分が発見したり開発して大切に守り育てた色々な物事を自分のものとはせずに、これを自慢せずに、自分が取り仕切ろうとしないことができますか?

これらのことが出来ることが、大人(聖人)の徳なのです。

2016年11月27日

正しい仕事

周りを幸せにするには、「自己犠牲」が必要である。

そう思っている人もいるかも知れません。しかし、それは違います。

周りの人を幸せにして、自分も幸せになる。それが鉄則であり、両立は可能です。

自己犠牲では絶対に長続きしません。野球選手は球を投げ、画家は絵を描き、職人は物をつくる。自分も幸せで、周りにいる人も幸せです。そこには自己犠牲などありません。

自分の仕事を精一杯やって、それが周りを幸せにする。もし、一生懸命やると他人が不幸になるような仕事だとしたら、それは、正しい仕事ではありません。

2016年11月26日

どんな状況もそれは幸せなこと、それは不幸せなことであると決まってはいない

どんな状況も、すでにその中に本質的に決まっている意味はありません。

私たちが与える意味によって、そこから得られる結果が変わってきます。ですから、私たちのハッピーな人生にとって、いかにも矛盾して見えるものでも、肯定的な意味を与えることによって、それが障害に見えなくなります。

障害と見ようとしないで「それは自分のハッピーな部分の延長なのだ。ただいまの自分の目には、どのように肯定的なのかが、まだ見えていないだけなのだ」と思うようにしましょう。