2019年06月17日

幸不幸は自分自身が生み出している

人は幸不幸を自分で生み出します。自分の幸不幸を決めるのは自分自身であり、それを長続きさせるかどうかを決めるのも自分自身です。

それらのことは外から押しつけられるわけではありません。内的な状態なのです。その原因は神でも悪魔でも、環境でもありません。

「思考」なのです。それらは行為の結果であり、行為は思考の目に見える側面です。習慣化した心の姿勢が行為の進路を決定し、「しあわせ」や「不幸」という反応を生み出します。

ですから、反応の状態を変えたければ、原因となる「思考」を変えなければなりません。

2019年06月16日

あなたの主人は「自我」ですか?「真理」ですか?

もしあなたが、感情的になりやすく、依怙地で、たえず自分の目的を追求し、自分に甘く、自己中心的だとしたら、あなたの主人は「自我」です。

自分を甘やかすことをやめ、温和で優しく、他人を思いやり、いつでもわがままな自分を捨てる覚悟ができているというのなら、あなたは真理の実現を心から求めています。

あなたは金持ちになるために努力をしたり、自分が属する集団のために情熱を持って戦ったりしますか?

社会的な権力や地位を渇望したり、見せびらかすような行動をとったり、自慢話をしたりしますか?

もしそうするというなら、たとえ自分では神を信じていると思っていても、あなたの心の神は「自我」です。

「私は、金銭欲を捨て、すべての争いから手を引きました。社会的な地位を気にせず、誰の目にもとまらなくても不平はありません。自分のことばかり話すのをやめ、ひとりよがりの自惚れを持って自分を見るのもやめました」

そう言うのなら、祈りの言葉を唱えることがなくても、あなたは至高の存在と共にいます。

2019年06月15日

周囲のものすべては思考の色彩で色づけされている

人は自分が抱く思考の性質によって、低俗な領域と高尚な領域のいずれかで暮らしています。

世界が暗くて狭いと思えば、実際にそうなりますし、広い理解力があれば、それに応じて世界は広くて輝くところになります。

周囲のものすべては思考の色彩で色づけされています。

2019年06月14日

いつもこう在りたい

何事も恐れず、誠実な魂を持ち、ひたすら英知を追い求める。

いつでも人に手を差し伸べる用意をし、食い意地をはらない。

神を敬い、一人でこつこつと勉強することを愛する。

謙虚でまっすぐな心を持ち、万物を慈しみ、怒りにかられず、他の人たちがありがたがるものにも執着しない。

冷静で、思いやりがあり、人の過失を責めない。

苦しむ者たちにやさしくし、足ることを知り、欲望に振り回されない。

温和で控え目ながら威厳をもち、忍耐と不屈の精神と純粋さの入り混じった気高い人間性を備え、復讐心に燃えることもなく、決して自分を過大評価しない。

このような資質こそ、真理を愛する者がすぐそれとわかる特徴であると、「バガバット・ギータ」に語られています。

幸せに暮らしたい人はこうでなければなりません。いつも、いつもこうでなければなりません。

2019年06月13日

自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません

周囲の状況や環境、それらはそれ自体良くも悪くもありません。良し悪しを決めるのは、心の姿勢や態度です。

資金不足、時間不足、力不足、家族の絆による束縛など、さまざまな事情に妨げられなければ、偉大なことができる、と人は想像します。

しかし、実際には、それらによってはまったく邪魔されていません。心の中で、それらが持っていない力をそれらに与え、それらにではなく、それらについての自分の見解に、すなわち自分の性格の弱い部分に屈服するのです。

そういう人に欠けているのは、正しい心の持ち方です。

環境を自分の資質を刺激するものとみなし、自分に対する「障害」が成功へとのぼりつめていくためのステップと考えられるようになれば、欠乏感が新たな発想を生み、「妨害物」が自分を助けてくれるものに変貌します。

心が健全で、適切に調整されていれば、環境に愚痴や不平をこぼしたりしません。
それらを乗り越えて成長するのです。

自分の置かれた環境に不平をこぼす人は、まだ一人前とはいえません。

2019年06月12日

「観念」や「思い込み」に気づく

私たちは物事をあるがままに見ているのではありません。

「観念」や「思い込み」という眼鏡を通して見ています。

このことを常に認識していれば、私たちは傲慢になることはありません。

ところが、自分はありのままに見ているつもりでいるので、あの人はいい人だ、悪い人だとか、これは正しい、これは間違っているとか、そうやって判断して裁いてしまうのです。

自分がそういう「眼鏡」をかけていることに気づけば、その眼鏡の形によってその判断が出来ていることに気づけば、そこに傲慢さは少なくなるはずです。

私たちは朝から晩まで、ひっきりなしで人を評価したり、判断したり、批判したり、いいとか悪いとか言ったりしています。もちろん心の中で、ずっとやってるんです、無意識に。

それが実は、観念から作り出されているんだってことがわかれば、少しは謙虚になります。
もう少し柔軟性を持って、出来事を見る態度が出来てくると思います。

観念に固まってしまうと、白か黒かみたいになってよくありません。


何が言いたいのかと言えば、要するに「苦しみ」というのは、その人の観念の強さ、思い込みの強さだってことです。

「こうだっ!」って決めてしまうわけですから、何が起きているかではなく、何が起きていようと、それを見る自分の態度によって、私たちの感情は決まってくるわけです。

現実をどのように見るかによって、その人の結果が決まるのです。

2019年06月11日

評価の結果は一人ひとりの価値観が作り出している

私たちがいかに自分の見たいように見て、聞きたいように聞いているか。

これは想像以上です。

私たちは先入観の塊りみたいなものです。思い込みの束、観念の束みたいなものです。
一人の人間に対しても、百人いたら、百通りの評価があると思います。

ある人物について、個々の眼鏡、その眼鏡に合えば「素敵」ですが、合わなければ「ひどい」わけです。

対象への評価というのは、現実そのものが作っているのではなくて、その事象(人物)を見た私たち一人ひとりの価値観が作りだしているのです。

要するに、人それぞれ何にせよ見方(捉え方)が違うということです。

2019年06月10日

問題を作り出しているのは自分の心

何か問題が起きたとき、いちいち苦労して問題を解決しようとしなくても、自分の視点を変えることで、問題そのものが消えてしまいます。

問題というものは、起きている出来事そのものではありません。
その出来事に対する解釈に不快感がともなう時に、その出来事が問題として見えてくるのです。

もしそこに不快感がなければ、その出来事は問題として認識されません。

たとえば、子供が勉強しないのが問題だという時、その親は子供が勉強しないことに、心配やいら立ちや不快感を持っているわけです。でも同じように勉強しない子の親でも、そのことに心配やいら立ちを感じなければ、勉強しないことは問題には見えません。

起きている現実は中立で、良いも悪いもないのですが、それを受け取る側の見方によって、問題にもなり、単なる事実にもなるのです。

もしあなたが問題を抱えているとしたら、それは自分の心が問題として映し出しているということです。その出来事に対して、不快感を持っているから問題に見えているのです。

それでは「不快感」というのは何なのかというと、それは、その出来事に対するあなたの立場です。あなたがその出来事に対して、被害者の立場を取っている時です。自分が被害者だと思うと、そこに不快感が生まれます。

問題を作り出しているのは自分の心です。

起きている出来事は中立であり、いいも悪いもありません。ただ起きることが、起きています。いままでもそうだったし、これからもそうです。それにもかかわらず、私たちは立場や見方によって、独自に判断し、解釈し、こういう問題が起きていますという物語を作っているわけです。そしてそれをつなげて、人生と呼んでいるのです。

2019年06月09日

すべて「いま、ここ」にある・・・



「幸せになるために〜〜しよう」とか、
「悪いことが起きないように、〜〜をすべきだ」とか。

それはすべて、未来志向(結果志向)。

未来なんて、どこにもありません。
いつも、「いま」があるだけ。

未来志向になると、「失敗しないように」と深刻になってしまいます。
みんな、あまりにも生真面目で深刻なのは、未来志向だからなんです。

実際の話、「いまここ」には何ひとつ問題はなく、すでに私たちはすべてを得ていて、これ以上、何もいらないんですよ。

はい、一件落着。

2019年06月08日

見極める(執着を捨てる)

かつてと同じような苦しみに遭っているのでしょうか。

昔と同じ悲しみの涙を流しているのでしょうか。

以前と同じ胸の痛みを抱えているのでしょうか。

そのような苦しみと悲痛の輪廻から脱したいと思うのなら、自分に起こる事柄をよく見極め、知りつくさねばなりません。

底の底まで見極めれば、そこにある一切は自分の執着の心でしかないと気づくでしょう。
それがわかれば、もはや同じ苦しみと悲しみを繰り返すことはありません。

執着を棄てなさい。